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社会講座「横浜史跡めぐり」 2019年9月30日(月)

横浜は幕末の開港以来、開港場や外交の場として開発され、その後近代日本の先進地として急速に発展・拡大した街です。
今回は近代「横浜」成立の原点とも言える旧東海道筋をめぐります。

 

 

 

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まずはJR東神奈川駅から歩きはじめ、旧東海道の神奈川宿へと入った。狭い道だが両脇の松並木が往時の街道を彷彿とさせる。しばらく行くと、神奈川宿の高札場(復元)がある。

本日は神奈川宿(JR東神奈川駅)~保土ヶ谷宿(JR保土ヶ谷駅)を踏破した。東海道五十三次の一区間である。
神奈川宿~保土ヶ谷宿間は1里9町とされているので、8km弱を歩いたことになる。
旧東海道筋を歩くことで江戸時代の街道の様子や横浜開港後の変化を再確認することができた。

 

 

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神奈川警察署付近から旧東海道筋をそれ、海側に向かうと「神奈川台場」跡へと到達。横浜開港に伴い設けられた付属施設(砲台)で、1860年に完成。写真はかつて海に囲まれていた台場の石垣。

 

 

 

 

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  海側から旧東海道筋に戻り、京浜急行線の高架下をくぐって北上するとすぐに慶雲寺にたどり着く。ここは横浜開港後に設けられたフランス領事館跡。浦島太郎伝説が残る寺院でもある。

 

 

 

 

 

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 慶雲寺からイギリス領事館跡(浄瀧寺)・アメリカ領事館跡(本覚寺)をめぐって、横浜駅付近まできた。そして台町の坂を上る。ここが歌川広重「東海道五拾三次」の「神奈川」にみえる風景である。

 

 

 

 

 

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これが「東海道五拾三次」の「神奈川 台之景」の浮世絵。さきほどの写真と見比べると、よく似ているのがわかる。当時は坂のすぐ左手(横浜駅周辺)まで海が迫っていたのがわかる。

 

 

 

 

 

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台町から旧東海道を進み、沢渡、浅間町を経て、松原商店街へ。商店街を通り抜けながら、その賑わいをみていると、往時の東海道もこんな感じだったのかと想像が膨らむ。

 

 

 

 

 

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ここは松原商店街からさらに西進し、相鉄線天王町駅を過ぎたところ。かつてここには帷子川の旧流路があり、旧帷子橋(新町橋)があった。ここが「東海道五拾三次」の「保土ヶ谷」にみえる風景である。

 

 

 

 

 

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これが「東海道五拾三次」の「保土ヶ谷 新町橋」の浮世絵。さきほどの写真(橋をデザインした公園)と見比べると、この絵と重なるのが見て取れる。そしてこの地もすぐ左手まで海が迫っていたのがわかる。

 

 

 

 

 

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この石柱は、保土ヶ谷駅前の商店街(旧金沢横町。金沢・浦賀往還への出入口)に保存・展示されている道標。「かなざわ かまくら之道」「円海山之道」「程ヶ谷の枝道」等の文字が確認できる。

Y10.JPG保土ヶ谷駅前の商店街を抜け、JR横須賀線の踏切を越えて、最後に保土ヶ谷宿の本陣跡地(参勤交代する大名の宿泊施設)を訪れた。もう少し西進すると武蔵国と相模国の境界である権太坂が待っている。

 

 

 

 

 

 

本日は神奈川宿(JR東神奈川駅)~保土ヶ谷宿(JR保土ヶ谷駅)を踏破した。東海道五十三次の一区間である。
神奈川宿~保土ヶ谷宿間は1里9町とされているので、8km弱を歩いたことになる。
旧東海道筋を歩くことで江戸時代の街道の様子や横浜開港後の変化を再確認することができた。