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社会講座「鎌倉散策」2017/9/22実施

9月22日(金)は曇り時々雨。蒸し暑さが残り,10分歩くだけで汗ばむ湿度の高さの中,今年も鎌倉を巡り歩きました。

6年生日本史選択者の17人とともに,楽しく鎌倉を散策しました。

今年のコースは以下の通りです。

浄智寺 → 明月院 → 亀ケ谷切通し → 浄光明寺 → 寿福寺 → 昼食 → 妙本寺 → 北条高時腹切りやぐら → 永福寺跡 → 瑞泉寺 → 荏柄天神社 → 鶴岡八幡宮

17鎌倉 1浄智寺IMG_0537.JPG

鎌倉五山第4位の古刹。観光地化されておらず,中世の雰囲気を堪能できる穴場...だったはずなのですが,すでにスマホを片手にした若者が沢山押し寄せていました。さっさと退散しました。開基は兀庵普寧です。「ごったんふねい」と読みます。大学入試問題の選択肢に登場することがあります。

17鎌倉 2明月院IMG_0538.JPG

あじさい寺で有名です。生徒は「やぐら」をじっくりと観察したり,北条時頼の墓前で手を合わせたり,上杉氏が宗尊親王につきしたがって鎌倉入りしたことを学んだりしました。写真は「枯山水」のお庭です。

17鎌倉 3浄光明寺IMG_0539.JPG

この寺の周辺は扇ケ谷をいう場所。扇谷上杉氏の館跡や,太田道灌に関係する跡地も残ります。この浄光明寺は,足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権と敵対する直前に滞在した場所です。ほとんど観光で訪れる人はいないようです。

17鎌倉 4妙本寺.JPG

1203(建仁3)年,有力御家人比企能員が北条時政によって討たれました。比企能員の娘は2代将軍源頼家の妻であるため,比企氏は将軍家の外戚として権勢を増しつつありました。北条氏との対立を深めていったことが推測できます。妙本寺は比企氏の館があった比企(ひき)()(やつ)に佇んでいます。ここも観光地として未だに認知されていない様子。

17鎌倉 5永福寺跡IMG_0548.JPG

永福寺跡は,今年になって遂に発掘調査がひと段落したようです。源頼朝関連の重要な遺跡です。その規模の大きさは,訪問してみて初めて実感できました。

17鎌倉 6瑞泉寺IMG_0549.JPG

禅宗寺院といえば日本庭園ですが,この瑞泉寺の庭園は鎌倉時代末期につくられたものです。夢窓疎石という禅僧が関わっています。足利尊氏・直義をはじめ,南北朝の動乱で活躍する武家と深い関係を持つ寺です。ところで,この瑞泉寺の近くには,護良親王が討たれた場所などもあり,1日かけてじっくり歩いて廻ると,南北朝の動乱に関係する史跡を多く発見できることでしょう。

17鎌倉 7荏柄天神社.JPG

菅原道真公に,受験生となった自分を披露しています。

17鎌倉 8八幡宮.JPG

鶴岡八幡宮が最後に訪ねた場所。9時半に集合し,一日中歩き回り,すでに16時近くになりました。

まだまだ歩き足りない様子ですが,本日はここまで。続きは,来年,大学生になって自分で計画を立てて廻ってください。

受験勉強の只中にある6年生が17人も参加してくれました。これまでで最も多い参加人数です。全員が日本史選択者の受験生ということもあり,世間の認知度は低いが大学入試問題に関係しそうな場所も訪問しました。

鎌倉五山は建長寺・円覚寺ではなく,寿福寺・浄智寺を訪ねました。他に,北条時政によって滅ぼされた御家人比企能員ゆかりの地,頼朝が平泉の建築物を模してつくらせたという永福寺跡,足利尊氏が中先代の乱を鎮圧したあとに建武政権にどう向き合うか沈黙していた時期に滞在した浄光明寺,どれもあまり観光地化されていません。それだけに中世の面影を見出せる貴重な場所でした。