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社会講座「中世城郭めぐり-山中城編-」 2015年9月28日(月)実施

山中城(静岡県三島市)は戦国末期に戦国大名 後北条氏(小田原)の支城として築かれました。400年前の城郭の全貌がそのまま復元されている点で全国的に非常に珍しい存在です。

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静岡県の三島駅からバスに乗って箱根方面へ。かつての東海道沿いを30分程度上っていくと、山中城に到着します。。

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山中城の入り口に到着しました。ここもかつての東海道沿いにあります。山中城は国指定の史跡で日本百名城にも選ばれています。

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二ノ丸に入る虎口です。急な坂道になっています。山の中ですが、草が刈りこまれよく整備されている様子が分かります。

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西ノ丸にある土塁の様子です。中世の城では石垣は見られず、土を盛り上げて土塁を張り巡らすことで防備を固めていました。J5.JPG

西ノ丸を囲む堀の様子です。障子戸のような模様になっている障子堀です。後北条氏の城郭に特徴的に見られる堀です。

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西ノ丸から見下ろす風景です。左手に広がる街が三島市内。奥には海が広がっています。天気が良ければ右端には富士山が見えるはず...。

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本丸の頭頂部を写した写真です。ここが山中城で最も標高が高い場所になっています。意外に狭く盛り土をして築いたと考えられています。

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城郭の敷地内にある宗閑寺の様子です。写真にあるのは後北条氏の家臣で山中城主松田康長の墓です。豊臣軍の攻撃で死去しました。

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城郭の付近に江戸時代の東海道を整備した道(石畳)がありました。石畳を歩いていると、江戸時代や戦国時代へのイメージが深まりました。

山中城には天正18年(1590年)3月29日、4万人の豊臣軍が総攻撃をかけました。圧倒的な兵力の前に山中城は半日で落城したと伝わっています。秀吉の小田原攻めの始まりでした。