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社会講座「中世の城郭めぐり-岩槻城・河越城編-」 2014年9月26日(金)

岩槻城と河越城は戦国初期に関東管領扇谷上杉方の城郭として築かれました。これらは江戸城とともに太田道真・道灌父子が築いたとされる城です。古河公方足利成氏に対抗する目的でした。

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今回訪れた岩槻城と河越城はともに埼玉県にあります。岩槻城はさいたま市岩槻区、河越城は川越市に所在します。

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大宮駅から15分ほど離れた東岩槻駅で降りました。ここから歩いて20分ほどの場所に岩槻城址公園があります。

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岩槻城址公園に近づくと元荒川が現れました。昔から水上交通の要になっていたと思われます

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岩槻城の概略図です。現在地と書かれた付近が城址公園です。その他は市街地化しています。

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かつての鍛冶曲輪付近の空堀跡です。整備が進んでおり当時の様子を知ることができました。

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写真は鍛冶曲輪です。周囲を土塁が囲んでいるのが分かります。

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写真は江戸時代の城門です。岩槻城は江戸時代にも譜代大名の居城となりました。

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岩槻城から2時間弱かけて河越城に移動しました。写真は中世の河越城の様子をうかがい知る富士見櫓跡です。

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ここが富士見櫓の跡地の曲輪です。この付近ではここが最も高い場所でかつてはここから富士山が見えたと言います。

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江戸時代の河越(川越)城の城郭図です。現在、城の堀は埋め立てられていますが、中ノ門堀跡と記された部分が発掘・再現されています。

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写真が中ノ門堀跡で、発掘に基づき江戸時代の堀の様子を再現したものです。

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写真は江戸時代の河越(川越)城の本丸御殿です。譜代大名の居所となりました。

本日訪れた2つの城郭はいずれも太田道灌とのゆかりが深く、その後戦国大名後北条氏の城となり、江戸時代にも譜代大名の居城となったところです。いずれも市街地化が進みながらも往時の姿を留めています。