HOME > 土曜セミナーレポート・土曜講座レポート > 社会講座「鎌倉散策」 平成26年9月22日
9時に鎌倉駅に集合。今年はすべて歩きます。目指すは名越切通し。名越は「なごえ」と読みます。
名越切通しは鎌倉幕府の官庁街があった場所からは、三浦半島の相模湾側に通じる東の守り口と呼べる位置にあります。三浦半島と呼ばれるだけあって、この半島の平地や台地は、平安時代後半以降、開発領主三浦一族が地道に開墾し、勢力を築いていったようです。鎌倉幕府内での三浦氏は、有力御家人衆に数えられ、最大の勢力を持っていたといっても過言ではないでしょう。飛ぶ鳥を落とす勢いの北条氏にとっては、最も恐れた同僚であったはずです。その三浦氏が、万が一、反鎌倉幕府・反北条氏という立場に移れば、一気呵成に鎌倉の中心部に雪崩れ込んでくることは容易に想像できます。名越切通しは、幕府草創期において、三浦一族に対する防御という意味を持たされていたと考えられます。
さて、今年のコースは以下の通りです。
鎌倉駅 → 本覚寺(岡崎正宗の墓参り) → 妙本寺(比企一族の墓参り) → 八雲神社(受験生は合格祈願または厄払い) → 安国論寺(日蓮といえば立正安国論) → 小坪トンネル(夏になると何かと取り沙汰されるあのトンネル) → 名越切通し(国史跡です) → 大切岸 → 鎌倉駅
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ここは妙本寺の山門です。鎌倉幕府設立当初は、この谷には比企一族の館があったようです。1203年に、北条義時らによって比企一族は滅ぼされました。その後、寺が建てられたようです。境内には、苔むした比企一族の墓があり、住職が花をお供えしていました。ちなみに、比企は「ひき」と読みます。 |
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八雲神社にて。今年の参加者には6年生がいますので、ここで合格祈願をすることにしました。やめればいいのに、おみくじに未来を見出そうとして、何人かは打ちひしがれていました。 |
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鎌倉市街と逗子市街を分け隔てる壁になっている山に登っています。この山の上に、めざす名越切通しがあります。下には、夏になるとよく怖いネタに使われる小坪トンネルが通っています。 |
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ここが名越切通しです。いまでも一人ずつでないと通れません。馬上の武者が駆け抜けることは難しい地形です。これは物流を優先した道ではなさそうです。やはり防御用なのでしょうか。この狭い切通しは、小坪トンネルができるまで、つまり明治時代のどこかまでは日常の生活の中で使われていた道だそうです。 |
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ここは「まんだら堂」です。簡単にいえば、鎌倉時代から室町時代にかけての墓地です。現在整備中とのことで、これ以上接近することはできませんでした。発掘調査によれば、火葬をしていたことが分かったとのことです。
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ここは大切岸です。いったいこの壁は何なのでしょうか。主な説は2つあるようです。1つは防御用の壁として削られたとする説。名越切通しのすぐ近くですし、また、この壁は何百メートルも続いており、確かに防御施設と考えることは妥当かもしれません。もう1つは、石切り場跡という説。かなり風化が進んでおり、いまとなってはよく分かりません。ちなみに、こんなに白くきれいになっているのは、最近整備をしたからです。奥のほうには荒れたままの切岸が続いています。 |
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鎌倉駅まで無事に戻ってきました。秋の鎌倉を散策するシリーズはこれからも継続します。来年も参加してください。卒業生も歓迎します。
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