昨日予告いたしましたように、本日は7月31日~8月3日にかけて実施しました「岩手ボランティア」について掲載したいと思います。皆さんも忘れられないことと思いますが、2011年3月11日に東日本大震災という未曾有の大災害が発生しました。あれから3年、こうして神奈川にいると復旧・復興という言葉も以前ほど耳にしなくなってきているように感じ、意識も低くなってきているように感じます。
さて、私たちは3年前の夏、「何かできることはないか。」という一心でこの岩手ボランティアを強行しました。岩手の中で宮古市の田老地区へ出向いたのですが、その当時はまだ瓦礫の山、スーパー堤防も無残な姿のままという状況でした。生徒の呆然と眺めていた姿が忘れられません。そして、腐敗臭のする中、瓦礫の撤去作業を中心に黙々と行ないました。どこまで作業しても終わらないのではという無力感に苛まれていた夜のミーティングで、「僕たちの力は微力だけど、無力ではない。」と言った生徒の言葉に、一人ひとりができることをやっていこうと確認し合ったことも思い出されます。
今回、参加してくれた24名の生徒たちに、ここまでの話を夜のミーティングで話しました。それと言うのも、初日の午後に神社の参道の草刈りを行ったのですが、生徒たちには「なぜ草刈りなんだろう。」という気持ちがあったように感じたからです。生徒たちは一生懸命に草刈りをしてくれましたが、3年が過ぎたことで復旧・復興が進み、見た目には広い更地が続いているようにしか思えず、そこに人家があったことを想像することもできない、行きかう人たちは普通と変わらないように見える、それではなぜ自分たちで参道の草刈りをしないのかと感じてしまったのでしょう。以前の話をしたあとに、先日講演会で
来校してくださった「大野勝彦さん」の詩集にある言葉を使わせてもらいました。それは、「嬉しい、花が見えるようになった。忙しい人の前には花は咲かない。」というものです。私が言うのもおこがましいのですが、田老の人たちだけでなく、被災地の人たちは一生懸命に日々を生きておられます。神社の参道をきれいにしなければということに気が回らないのです。分かっていてもそこまで手が回らないのです。そうしたら、私たちが何をしにきたのか分かるはずです。ボランティアの意味は、自主的に参加する無償の奉仕活動です。自分の行いが社会に貢献することであっても、相手が気づいてくれなくてもいい
のです。今回参加してくれた生徒たちは、すぐに理解し、気持ちの中のモヤモヤが無くなったようでした。
さて、初日の午前中は雨が降っており、屋外での作業ができなかったため浄土ヶ浜という観光地へ出かけました。そこでは、食堂の方に我々がボランティアに来ていることを話すと、わざわざ震災のときの津波の映像をスクリーンまで出してきて見せてくださいました。生徒たちはその映像を真剣に食い入るように見ていました。そして、この浄土ヶ浜が津波に飲まれた映像が出てくると、こんなに穏やかな海が一変してしまう恐怖を感じているようでした。
その後、田老第一中学校にお邪魔しました。急なお願いにもかかわらず、副校長先生が快く出迎えてくださいました。この中学校には、「ボイジャー」という震災の記録を残そうと写真や新聞などがいっぱいに詰まった部屋があります。その部屋を見せていただきながら、お話を伺うことができました。生徒たちも浄土ヶ浜に続き、感じるものが多かったようです。最後に副校長先生は、「今、3年が経って子どもたちの精神的な問題が出てきています。ニュースではほとんど伝えられませんが、生きることで精一杯だったこの3年、生活が落ち着きつつある今になってその当時を思い出し、自分を責める子どもが増えてき
ているのです。」と真剣な表情で語られました。神奈川にいては、分からないことです。同じ教育者として胸が痛む思いでした。
2日目もしっかりと草刈りです。私は所用があるため、2日目の午前中の作業を終えてお昼には田老をあとにしてしまいましたが、海へ続く遊歩道が獣道のようになっているところを、暑い中、生徒たちは疲れも見せず積極的に頑張ってくれました。そして、夜には毎年ボランティアの受け入れ・コーディネートをしていただけている方のお話を伺うことができました。今でも仮設住宅で暮らされているのですが、震災当時から今の生活についてや、人々の感じていること・考えていることなどを聞くことができ、生徒からは「日常の当たり前と思っていることが、いかに当たり前でなく大切なことかを実感しました。」という言葉があったようです。
3日目は朝食後に田老をあとにして、一路神奈川に向かったのですが、渋滞もあったため本厚木にバスが着いたのが夜10時ということで、約13時間かかったとのことでした。生徒たちも疲れたことでしょう。でも、なぜ我々が今でも岩手へ行くのかというと、遠いところ・時間のかかるところだからです。この遠さによりボランティアの数が年々減り続けているといいます。陸前高田、気仙沼あたりには、出かける人もいるのですが、宮古・田老あたりは忘れ去られかねません。今回も現地の方と話しているときに必ず出てくるのは、忘れられることが恐いという言葉です。8月21日の朝礼では、参加した生徒を代表して生徒会長から全校生徒へ報告がされるとともに、ぜひ来年も継続していきましょうという言葉がありました。
昨年から本校の探究文化発表会にて田老のカンバッヂを販売したりしており、今後は違う角度からも継続して関わっていかせてもらいたいと思っています。