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学校長の部屋

夏、一番の記憶

本日で8月も最後となります。一気に秋になったようなこの一週間のため、「暑かった8月」という印象が薄らいでしまったように感じるのは私だけでしょうか。

DSC_0080.JPGさて、皆さんはこの夏に何が一番記憶に残っているでしょう。一人ひとり違って当たり前なのですが、私は少し認知症になりかけている父の話でしょうか。今年戦後70年を迎え、今また安保法案への反対デモが行われているわけですが、父の青春時代、太平洋戦争を生き抜いたことの話が心に残っています。父は今年で87歳となり、お蔭様で認知症はあるものの身体は元気です。これまで、どちらかというと寡黙であまり多くは語らないほうでしたが、昨年あたりから昔の話、特に戦時中のことを良く話すようになりました。これまで50数年彼の子どもとして生きてきましたが、このような話はまったく聞くことがありませんでした。認知症が始まり、何かを話しておかなければいけないと感じたのでしょうか。分かりませんが...。

DSC_0071.JPG父は、終戦時17歳でした。終戦を東北地方の飛行訓練場で迎えたそうです。海軍所属でパイロット見習いだったそうですが、終戦があと数ヶ月遅れれば特攻隊に配属になるはずだったと言います。実際に飛行機を何度か操縦したとも言っていました。もし、父が特攻隊として出陣していたら、今の私はこの世に生を受けていなかったわけです。特攻を志願したかという問いに、当時は志願しないわけにはいかなかった、そんな雰囲気だったと激高して語りました。そんな父もこれまでに見たことがありません。そして、当時、父の実家は広島の山間部であったため、終戦後すぐに帰省をしたわけですが、呉の軍港は壊滅状態、広島の街は遠くまで眺めることのできる景色、焼け野原と変わっていたそうです。原爆が落とされたことにより目を覆いたくなるような悲惨な状況だったと言います。その後、大変な思いをして生活をし生きるのに必死だったが、その当時は皆がそうだったから、頑張れたのかもしれないと話してくれました。細かい話も多くしてくれたのですが、長くなるのでこれくらいに留めたいと思います。

DSC_0070.JPG父がなぜ戦後70年にもなってから語り始めたのか、本当に分かりません。母も「こんなにお父さんが昔のことを話すのを聞いたことがなかった」というほどです。これまでは思い出したくなかった記憶だったのかもしれません。でも、テレビなどのメディアに中東情勢が流れたり、集団的自衛権の問題などが取り上げられたりするのを見ることで、戦争の悲惨さを知っている自分たちが話さなければならないと感じたのかもしれません。

認知症が進みつつある父の言葉は同じことを何度も繰り返すのですが、その真剣な表情に同じことを言っているとも言えず、ただじっと話を聞いていました。そして、戦争の悲惨さというものを強く感じさせられるとともに、胸が熱くなるのをどうにもできなかったのです。

我々が、このような戦争体験者の言葉をしっかりと後世に伝えていかなければという気持ちにさせられたことが、私がこの夏一番記憶に残っていることです。